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福島駅東口近くの除染情報プラザでは、浜通り地域の伝統芸能文化を紹介する企画を行っており、この5月から大熊町の熊川稚児鹿舞(くまがわちごししまい)の展示をしています。また、8月4日からは双葉町のじゃんがら念仏踊りの展示が始まります。
東京電力福島第一原子力発電所の事故により両町の皆さんも避難生活を余儀なくされています。現在、国は大熊町の除染を終えた場所で継続的なモニタリングを実施しており、また双葉町の本格除染に着手しています。
被災地では「地域の拠り所である伝統芸能文化を後世に残したい」との思いで活動を再開させているところがあります。除染情報プラザでは、故郷の文化に対する地域の皆さんの思いとともに、今回は大熊、双葉両町でのこれら伝統芸能の由来や稽古の様子などをパネルで紹介します。皆様のご来館をお待ちしています。
大熊町の熊川地区に約200年以上伝わる熊川稚児鹿舞。鹿舞と書いて「ししまい」と読み、町の無形文化財に指定されています。江戸時代後期の飢饉後、家内安全を願って地区の鎮守である諏訪神社に奉納したのが始まりとされています。昭和に入り、熊川稚児鹿舞保存会が発足し、活動を続けてきました。
東日本大震災では諏訪神社が流され、衣装や楽器も失い、保存会のメンバーは福島県内外に避難しました。それでも「やめるのはいつでもできる。何とか頑張ってみよう」と、会長の宮本明さんは震災後の平成24年8月にメンバーに呼びかけ、再開に向け一歩を踏み出しました。舞方(まいかた)は子どもが担いますが、会津若松市といわき市に避難している小学生の兄弟2組の4人が引き受け、太鼓や笛のメンバーもそろい、平成25年から練習を再開しました。昨年7月には会津若松市にある大熊町の仮設住宅で行われた「おおくま・甲和会合同夏まつり」に合わせ、4年ぶりに上演しました。今年は8月にいわき市で演じる予定です。
宮本さんは、「鹿舞は町民の『和』の象徴だと考えています。『町を忘れないでほしい』という気持ちで今後も活動していきたい」と話しました。
鉦(かね)と太鼓を打ち鳴らし新盆を迎えた家を供養して回る「じゃんがら念仏踊り」は、江戸時代初期に始まったとされます。いわき市を中心に行事が行われてきましたが、北限とされる双葉町では山田地区と石熊地区でそれぞれ受け継がれてきました。
山田地区では、双葉町山田芸能保存会が中心となり活動してきました。会長の菊地安さんによると、地区で夏の風物詩として親しまれてきたそうです。
保存会のメンバーは、東日本大震災後、福島県内外へ避難し、ばらばらとなりました。そのような中でも、「大震災で亡くなった方々への供養をしよう」と震災から1年経った平成24年3月11日を活動再開の日に決め、稽古に励みました。「みなさんが予定をやり繰りして集まりました。稽古の後は久々の再会を喜びながら、慣れない地での生活について語り合い、そして励まし合って、踊りを続けようと誓いました」と当時を振り返ります。
平成24年以降は福島県内外の各種イベントからも招待を受け、踊りを披露しています。菊地さんは「離ればなれになっている双葉町民の健康と長寿を祈りながら踊りを継続していきたい」と意欲をみせています。