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福島県内再生事務所支所長の5人の中で唯一の本県出身者である齋藤支所長は、強い意志で業務に取り組む熱血漢です。「県民の1人として微力ながらも除染と復興にまい進します」と話します。
東日本大震災発生時は、二本松市の社会福祉協議会に勤務していました。これまでに体験したことのない大きな揺れ、その後に起きた原発事故。すぐにボランティアセンターを立ち上げ、二本松市民や避難者の支援に奔走しました。「異常事態とはいえ情報が錯そうし、国や県、各市町村との連携を上手く取ることができなかった」と当時を振り返ります。除染業務への転機については「復興に少しでも役に立ちたかった」と語っています。
県北事務所の業務は、県北地域8市町村の除染計画策定及び支援等です。ガイドラインに基づく最善のメニューだと考えて除染を実施しても、放射線量が下がらない場所がある、などと市町村から指摘を受けたこともありました。「実証実験を繰り返し、効果がある技術を確立することが大切だとわかりました。より効果的な技術を活用して除染の加速に努めたい」と2年間を振り返ります。管轄の川俣町山木屋地区、飯舘村では住民の同意も順調に得ることができ、平成26年度は住宅の除染を完了する予定です。
座右の銘は「なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」という上杉鷹山の名言。「現場の最前線で精いっぱい努力して目標を達成します」と誓います。
黒澤支所長が担当する県中・県南支所は、浜通りから中通りまで広がっています。「多くの皆さんの期待に沿えるように努力していきます」。静かな語り口の中に固い決意がにじみます。
赴任して1年目は住民説明会が主な業務でした。「住民の皆さんからは長引く避難生活や賠償に対する不満などが多く出されました。表に出す、出さないに関わらず、皆怒りの中にありました」と振り返ります。国に対する不信感から、議論がかみ合わない状況が続きました。
本格除染がスタートした平成25年度の説明会からは、住民の方々の様子も少しずつ変化し、職員の説明に向き合って頂けるようになりました。「除染によって『放射線量が下がった』という成果が目に見える形で表れたからだと思います。徐々にですが除染に対する住民の皆さんの理解が深まった」と、これまでの取り組みを振り返ります。
36年間に及ぶ農林水産省時代には2年に一度のペースで転勤。国内はもとより南米諸国では色々な人種や多くの人たちと働き、触れ合ってきました。「福島県の人たちは優しく、そして粘り強い。そんな皆さんが希望を持って安心して生活できるよう力を尽くしていきたい」。今年も福島県民とのつながりを大切にして除染に取り組みます。