令和7年9月30日掲載
福島県棚倉町について
棚倉町は福島県中通りの南部に位置し、東は浅川町と鮫川村、南は塙町と矢祭町、茨城県大子町、西は栃木県大田原市と同県那須町、北は白河市と接しています。町の東部には阿武隈高地が連なり、西部は八溝山地に囲まれ、八溝山を源とする久慈川が南へ、北部は阿武隈川支流の社川が東へと流れており、自然環境にとても恵まれた地域です。
棚倉町の除染
棚倉町では、平成23年12月に「棚倉町除染計画(第1版)を策定し、同年12月28日に汚染状況重点調査地域の指定を受けました。これにより、実施計画に基づく面的除染を平成29年3月に完了し、同年12月には保管した除去土壌等全量を国の中間貯蔵施設への搬出が完了しました。

棚倉町の自然
世界的に魅力的な都市が多い北緯37度に位置する棚倉町は、清涼さわやかな気象状況にあり、冬は温暖で四季を通じて極めて住みよい自然環境を有しています。
地形については、阿武隈山系に属するなだらかな丘陵地からなる東部地域、阿武隈川水系に属する社川によって拓かれた北部地域、久慈川の源流を有する八溝山系の急峻な山岳地帯で形成されている西部地域、久慈川によって拓かれた南部地域等、極めて変化に富んでおり、農業・林業・畜産とすべてに適した条件を有しています。
気象は、北関東地域に類似し、降水量は適度であり、積雪量も極めて少なく、台風の被害もほとんどみられず、山間地にありながら生活・生産環境としては、恵まれた条件のもとにあります。

山本不動尊
大同2年(807年)に弘法大師によって建立された寺院。周辺の渓谷は「奥久慈県立自然公園」に指定されており、春には山桜や岩つつじ、約800本のシャクナゲ、秋には見事な紅葉を眺めることができます。公園内には久慈川支流の宮川が流れており、透明度が高く、川底がはっきりと見られるため、ヤマメが泳いでいるところを見ることができます。

花園しだれ桜
かんがい用水のため池の土手にぽつんと植えられた一本桜。推定樹齢160年を超えるしだれ桜で、田園風景を背に池の水面に映る「逆さ桜」は必見で、撮影スポットとして、県内外から人気の高い桜です。

棚倉町の歴史
本町は、1万年以上の歴史を持ち、江戸時代には9家17代にわたり棚倉藩10万石の城下町として、政治・経済・文化の中心地、さらには交通の要所として栄えた歴史を持ちます。
昭和30年(1955年)に現在の棚倉町になりました。
棚倉城跡
寛永2年(1625年)に棚倉藩2代目藩主の丹羽長重が2代将軍徳川秀忠の命を受け棚倉城を築城しました。以後、城主は8家16代にわたり、慶応4年(1868年)の戊辰戦争で落城し、焼失するまでの243年間存在しました。2025年には築城から400年を迎えました。春にはお堀を囲むように植えられた約270本の桜が咲き誇ります。

赤館城跡(赤館公園)
江戸幕府成立後、初めて棚倉藩を治めた立花宗重公が本拠としたのが、棚倉北部標高345mの丘陵地にある赤館城です。丘陵地から眺める風景は、城下町棚倉の町並みが一望できます。2代藩主の丹羽長重によって棚倉城が築城されるまでの間、この地を治めてきました。春には200本の桜が咲き、お花見を楽しめます。

棚倉町の文化
御田植祭(八槻都々古別神社)
国重要無形民俗文化財に指定されている御田植祭が毎年旧暦1月6日にあたる日に、奥州一宮八槻都々古別神社において行われます。御田植祭とは、神楽や稲作の作業過程をせりふのやりとりや簡単な所作で模擬的に演じ、豊作を祈るものです。

棚倉町のスポーツ
本町では、古くから野球、ソフトボール、サッカー、駅伝などをはじめ幅広くスポーツを楽しむ地域性が醸成されており、特にホッケーについては、平成7年に開催された「ふくしま国体」の競技会場になったことを契機に競技の普及が進み、令和5年11月には「公式ホッケータウン」として日本ホッケー協会から認定を受けました。
総合型地域スポーツクラブ「棚倉スポーツクラブ」があり、これらが中心となって、多種・多様なスポーツ活動が行われています。
