「Fukushima Today」について
福島県は、国・市町村が計画・実施してきた除染がほぼ完了という段階に達しています。しかし、こうした福島の環境の回復・再生の進展や成果について、海外ではまだ多くの無理解や誤解が存在しています。このような状況をふまえ、海外向けTV番組「Fukushima Today」の企画や取組に賛同し、番組の制作、海外での放送の実現に環境省も協力しました。
「Fukushima Today」は、東南アジア全域における日本関心層に向け、福島の環境の再生した様を広く紹介するドキュメンタリースタイルの15分番組をCNBC ASIAの“Channel Japan”の中のコーナーとして放送しています。
番組の主役として、環境回復・復興が進む福島の今を伝えるさまざまな分野のキーパーソンを設定。それぞれキーパーソンにふさわしいテーマにもとづく福島の現況や魅力を取り上げ、4回シリーズの番組として構成しています。
この番組について
「小名浜には何もない」という若者の言葉に触発されて、地元出身の小松理虔(こまつ りけん)さんが、友人とともに震災直後の2011年5月にオープンさせたオルタナティブ・スペース「UDOK」(うどく)には、夕方になると、音楽や絵画、パフォーマンスなど、夢中になれる趣味を持つ人たちが集まってきます。
小松さんは、2013年から、参加者を募って福島第1原子力発電所の沖合で釣りを楽しみ、釣った魚の放射性物質検査をするイベント「海ラボ」を定期的に開催。福島沖で続けられている漁業者による試験操業では、放射性物質が検出される魚は見られなくなりました。この事実を多くの人に知ってもらうことこそ、福島の復興になると小松さんは考えています。
小松さんと志を同じくする仲間に、元木寛(もとき ひろし)さんがいます。元木さんは、いわき市でトマト農園を経営。福島の農産物への風評被害が続く中、安全で、付加価値の高いトマトを生産して正規の値段で購入してもらう取組を開始。さらに「農業のテーマパーク」をテーマに人を呼べる農業を目指しています。
第2話目となるこの番組では、小松さんや元木さんの姿を通じて環境回復によって活力を取り戻しつつある福島を紹介します。
放送日:
【初回放送】11月26日(日)、【再放送】11月26日(日)
放送国(地域):
東南アジア、東アジアを中心に、CNBC ASIAが放送を行っている以下の18の国・地域。
インドネシア、フィリピン、ベトナム、カンボジア、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、
タイ、ミャンマー、中国、日本、台湾、韓国、香港、マカオ、パプアニューギニア、
サイパン/グアム、スリランカ
放送世帯数:
17,970,010(※ホテル客室数 298,632含む)
この番組の二次利用には著作権者の判断が必要です(お問い合わせ等は環境省へ)。
担当:環境省 環境再生事業担当参事官付 福島再生・未来志向プロジェクト推進室
※尚、個人の方は受け付けておりません。
番組内容
今回、最初に取り上げるのは、いわき市小名浜。
いわき市は、福島県内で最大の人口(約34.6万人)および面積(1,232平方キロ)をもっています。
福島県の太平洋沿岸の南端にあり、日本の首都・東京から北方へ200km、さらに北にある福島第1原子力発電所とはおよそ30kmという距離に位置しています。
いわき市も、震災で大きな被害を受けました。市の発表によれば、市内で観測した地震は震度6弱、60kmに及ぶ市の海岸線を襲った最大津波高は8.57m、死者・行方不明者は461人、住家等被害は9万1,180棟、うち全壊・大規模半壊が1万7,155棟とされています(いずれも、平成28(2016)年1月8日現在)。
また、避難指示区域からの避難者らを2万人以上受け入れています。
今回の最初の舞台は、このいわき市にある、福島県で一番大きな港町、小名浜です。
今回の主役の一人、小松理虔(こまつ りけん)さんは、小名浜で生まれ、育ちました。
東京の大学を卒業後、地元テレビ局の報道記者を経て中国・上海へ移住。日本人向け情報誌の編集ディレクターなどとして活動しました。そして、震災の前の年の2010年に帰国、生まれ育った故郷にもどりました。
小名浜は、かつては遠洋漁業で活況を呈した街でしたが、小松さんがもどってきたころは商店街もかつての賑わいを失い、街はすっかり活気を失っていました。
しかし、「街の魅力というのは、僕らの捉え方や見え方、そして見せ方でいろいろ変化させられるのだと思った。」と語る小松さんは、小名浜の活力を取りもどすために、若者たちが集まれる場所を構想します。それで生まれたのが、現在はフリーライターを生業とする小松さんの仕事場にして、さまざまなクリエイティブな活動・交流の場、若者たちの“たまり場”としてのオルタナティブ・スペース「UDOC」(うどく)です。
「UDOC」は、ことわざの「晴耕雨読」(晴れた日は田畑を耕し、雨の日には家で読書を楽しむように、自由気まま、自然のままに生きる)に由来しています。
小松さんをはじめとする仲間たちが、ここで、「晴耕」(=本業)の後の「雨読」(=本業以外のクリエイティブな活動)を楽しみます。
こうした小松さんの活動は、東京にも及んでいます。
小松さんがプレゼンターとして招待されたいわき市を考える催しが東京で開催され、若者を中心に、さまざまな立場の人たちが活発な意見交換や交流を行い、新しい仲間の輪が広がっています。
寒流と暖流がぶつかり合う福島県沖は多種多様な魚の宝庫でもあり、福島県では、震災以前、数百種類もの豊かな魚介類が水揚げされていました。
しかし、東日本大震災からまもなく7年となる今もなお、福島県の漁業は操業自粛を余儀なくされています。
その一方で、地元の漁業者は、福島県の漁業再開に向け、モニタリング調査によって安全が確認された魚介類を選定し、試験的に漁業を行う「試験操業」に取組んできています。
福島県による、水産物のモニタリング検査も続けてられています。この検査で安全性が確認されている魚介類の数は徐々に増えてきています。
震災後の操業自粛により、漁業資源も回復し、魚も大きく育ってきています。
魚介類などの食品中の放射性物質の日本での基準値は1kgあたり100ベクレルで、EUの1,250ベクレル、アメリカの1,200ベクレルよりはるかに厳しいものとなっています。
2015年4月以降、これまでの検査で、福島の水産物で基準値を超えるものは、ひとつも出ていません。
こうした状況の中で、小松さんは、福島第1原子力発電所のすぐ目の前、沖合2キロの場所で釣りを楽しむイベントを毎月開催しています。
ホームページで参加者を募り、釣り好き、釣り名人の人たちが船に乗り、小松さんの案内で第1原発の沖合に向かい、船釣りを楽しむという企画です。
ワラサやヒラメなど、元気に育った魚が次々と釣り上がってきます。
海では、魚だけでなく、海の中の様子も気になります。
第1原発の沖合6キロの海に潜ってみると、天然の岩礁には色とりどりの珊瑚が生息し、いろいろな魚が泳いでいます。
海中の放射線量を調べてみましが、放射線はほとんど検出されません。
「水中の魚たちは、何事も無かったかのうように暮らしていた。」と、潜ったダイバーは語っています。
小名浜には、水族館である「ふくしま海洋科学館」、愛称「アクアマリンふくしま」があります。
2000年に開業した「アクアマリンふくしま」は、2011年、東日本大震災の津波による大きな被害を受け、閉鎖。しかし、そのわずか4カ月後の7月には営業再開を果たし、子どもたちの笑顔を出迎えました。
ここで、小松さんたちが第1原発の沖合で釣り上げた魚の放射性物質を調べるイベントが開かれました。
水族館を訪れた大勢の人たちが見守る中、60センチはあろうかという大きなヒラメを、水族館の獣医さんが説明をしながらさばきます。
測定した魚の中から、10ベクレル程度の放射性物質が検出されました。これは推定年齢、9歳、10歳ぐらいという、震災前から生息している魚でした。
水族館の獣医さんは、集まっている人々に「今の時点では、100ベクレルを超える魚なんてまずありません。」と、測定結果や基準値について分かりやすく説明をしてくれます。
小松さんは、市民が一緒になって調べ、一緒になって理解する、学んでいくことの大切さを強調しています。
震災から5年目となる昨年2016年、農業と観光を融合させたユニークな施設「トマトのテーマパーク-『ワンダーファーム』」が、いわき市四倉にオープンしました。
震災後の風評被害も続くなか、「ワンダーファーム」は、トマトの生産だけでなく、加工や販売も手掛ける6次化を推し進め、農業をベースとした観光・体験機能を活用し、いわき市の魅力度アップや観光振興をめざしています。
この経営者が、小松さんの気の合う仲間の一人の元木寛(もとき ひろし)さん。
小松さん自身が商品化に関わった水産加工品も、ここの直売所で扱ってもらっています。
栽培しているトマトは11種類。最先端の技術を活用したハウス栽培のお蔭で一年を通して収穫でき、年間600トンという、国内有数の出荷量を誇っています。
年間日照時間が長く、一日の平均気温も高い温暖ないわき市。「年間を通してトマトをつくる上で、ここは、国内でも最も環境に適した地域だ。」と、元木さんは語っています。
結婚を機に義父のトマト農家を継ぎ、それまでもトマトなどの栽培に携わっていた元木さんには、将来、農家レストランのような店を持ちたいという夢がありました。
この夢を実現に向かわせたきっかけが、震災でした。
後継者不足などから農業の衰退が叫ばれているのは、福島だけでなく、日本全体が抱える問題です。しかし、原発事故による農産物の風評被害にも悩まされた福島では、農家の減少にいっそうの拍車がかかってしまいました。震災後5年で、福島県内の農家は3割減ったとも言われています。
それは、「ワンダーファーム」の周辺の地域も例外ではありませんでした。
「このままでは福島の農業が消えてしまう・・・」という危機感を抱く元木さんは、夢を実現するための広い土地を求めて、周辺の耕作放棄地の活用を思い立ち、地道な交渉の末、これらの農地を手に入れることができたのです。
「使われていない農地を活用して、私たちだけでなく近くの農家が皆で良くなっていけるような施設を作りたかった。」という元木さんの思い対する、周辺の農家の人たちの共感の賜物でした。
幸い、それらの土地の放射線量は極めて低いものでした。
元木さんたち自らがトラクターでの整地を行い、「ワンダーファーム」は2016年に完成。本木さんたちの夢が叶ったのです。
「震災の体験は未来への教訓として受け止める。そして自分たちが置かれた状況の中で、私たちしかできないことがあるはずだ。それをしっかり見つけて具体化していく。これほどのトマト農園は、日本だけでなく、世界中どこを探しても無い。」と元木さんは胸を張り語っています。