令和8年9月17日掲載
福島県浅川町について
福島県中通り地方の南部に位置する東西8㎞、南北12km、総面積37.45㎢の小さな町で、阿武隈山系の山々に囲まれ、阿武隈川支流の社川沿いの平坦な地に田園風景が広がる自然豊かな町です。

浅川町の除染
浅川町では、平成23年12月28日に汚染状況重点調査地域に指定されたことを受け、同年12月に「浅川町除染計画(第1版)」を策定しました。平成24年6月には「浅川町除染実施計画(第2版)」を策定し、放射線の影響を受けやすい、子ども、妊婦の生活空間(保育所、幼稚園、学校等施設、公共施設等)を考慮し、優先順位を定め除染を行いました。その結果、除染を実施した箇所において十分な低減効果があることが確認され、平成25年12月に除染が完了し平成27年8月には、仮置場に保管していた除去土壌等全量を国の中間貯蔵施設へ搬出しました。
浅川の花火
江戸後期に起こった一揆騒動の犠牲者を供養するために始められたと伝わる「浅川の花火」は、供養の花火として福島県内最古の歴史を持つ花火と言われています。名物の「地雷火」は町を見下ろす城山公園で打ち上げられ、花火の筒を使わず直接山頂で花火が炸裂するその様は、城山が噴火したかのような大迫力で山を包み込み、「浅川の花火」のファンファーレを飾ります。
城山公園
町を一望できる絶好のロケーション。遠くには那須連峰を望み、桜やツツジなど多くの樹木があります。遊歩道も整備されており、四季折々の自然を楽しむことができる公園です。また、毎年8月16日開催される「浅川の花火」のフィナーレを飾る「地雷火」が炸裂する場所にもなっています。
貫秀寺(即身仏 弘智法印 宥貞)
即身仏 弘智法印 宥貞は、天正19(1591)年出雲国(現在の島根県)に生まれ、寛永8(1631)年権大僧都になりました。諸国行脚の最後の地として、小貫東永山観音寺の住職となり、当時流行していた伝染病から人々を守ろうと天和3(1683)年、村人に薬師如来の十二大願を説いたあと、決意し石棺に入定し即身仏になったと伝えられています。
吉田富三記念館
明治36(1903)年2月、浅川町に生まれた博士は、昭和7(1932)年、世界で始めてラットの肝臓に人工的にがんを作り出すことに成功。この研究により恩賜賞、山極賞、服部報公会賞を受賞し、一躍世界的な注目を集めました。また、昭和34(1959)年に文化勲章を受章し、昭和48(1973)年、勲一等旭日大綬章の栄誉に輝きました。吉田富三記念館は博士の偉業を後世に伝えるために「ふるさと創生事業」として建設されました。館内では、博士の生涯、功績、研究に使用した道具、再現された研究室、ビデオシアターなどがあります。
破石
石川町との境、道端より少し離れた杉林のふもとにこの地区の地名が「破石」と呼ばれる由縁となった巨石があります。毎年、8月最後の土曜日の早朝に戸主が集まり周辺を清掃し、翌日、御神酒や餅を奉納し五穀豊穣、家内安全、無病息災を祈願しています。
五智如来(七人坊主)
ついじの森の大杉に囲まれた林の中に七人坊主と呼ばれている五智如来があります。石仏は、正徳5(1715)年兼子六右衛門氏が出羽三山参拝記念に建立したものです。五智如来の前にある2つの石像の下には、六右衛門夫妻が葬られていると言われています。













