「Fukushima Today」について
福島県は、国・市町村が計画・実施してきた除染がほぼ完了という段階に達しています。しかし、こうした福島の環境の回復・再生の進展や成果について、海外ではまだ多くの無理解や誤解が存在しています。このような状況をふまえ、海外向けTV番組「Fukushima Today」の企画や取組に賛同し、番組の制作、海外での放送の実現に環境省も協力しました。
「Fukushima Today」は、東南アジア全域における日本関心層に向け、福島の環境の再生した様を広く紹介するドキュメンタリースタイルの15分番組をCNBC ASIAの“Channel Japan”の中のコーナーとして放送しています。
番組の主役として、環境回復・復興が進む福島の今を伝えるさまざまな分野のキーパーソンを設定。それぞれキーパーソンにふさわしいテーマにもとづく福島の現況や魅力を取り上げ、4回シリーズの番組として構成しています。
この番組について
福島第一原子力発電所の事故後、外部被ばくや内部被ばくについてデータに基づいた調査研究を続けた、東大名誉教授・早野龍五(はやの りゅうご)さん。早野さんは事故直後から、研究者の視点で集めた情報と見解をツイッターで発信し始め、さまざまな情報に翻弄されていた人々の貴重な拠り所になりました。
早野さんは、身の回りの空間線量率や個人の被ばく線量を測る調査・分析や、小さな子どもも測れるホールボディカウンター「ベビースキャン」の開発に尽力。また、何万人ものデータを分析して、福島の実際の被爆線量がチェルノブイリに比べて驚くほど低いことを実証して世界に発信しました。この春、東京大学を退官した今も、早野さんの活動は続いています。
2017年3月15日、最終講義が行われた東京大学の小柴ホールには、大勢の人々が集まりました。講義で早野さんは「福島で育った子どもが福島の外に出ていったとき、根拠のない偏見にさらされます。それに対して、きちんと『そうではない』ということを、自信を持って言える。そういう状態にして送り出してあげるということが、今非常に大切なこと」と述べました。
第4話目となるこの番組では、早野さんが福島に残した6年の足跡をテレビユー福島のニュース映像で振り返るとともに、今も活動を続ける早野さんを密着取材。早野さんの取組みを通し、震災後の福島のこれまでと今を紹介します。
放送日:
【初回放送】12月31日(日)、【再放送】12月31日(日)
放送国(地域):
東南アジア、東アジアを中心に、CNBC ASIAが放送を行っている以下の18の国・地域。
インドネシア、フィリピン、ベトナム、カンボジア、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、
タイ、ミャンマー、中国、日本、台湾、韓国、香港、マカオ、パプアニューギニア、
サイパン/グアム、スリランカ
放送世帯数:
17,970,010(※ホテル客室数 298,632含む)
この番組の二次利用には著作権者の判断が必要です(お問い合わせ等は環境省へ)。
担当:環境省 環境再生事業担当参事官付 福島再生・未来志向プロジェクト推進室
※尚、個人の方は受け付けておりません。
番組内容
スズキ・メソードと早野さん
ヴァイオリンを奏でる早野さん。
早野さんは、4歳のときから高校に入学する頃まで、スズキ・メソード(Suzuki Method)でヴァイオリンを習っていました。
スズキ・メソードは、幼児が母語を覚えるように音楽に親しむ。そして音楽を通して全人教育を・・・という理念のもと、終戦直後の1946年、創始者の鈴木鎮一(すずき しんいち)氏によって長野県松本市に設立された「松本音楽院」に端を発します。これが耳から育てる「母語教育法」の基となり、およそ70年の間に世界46ヵ国に広がり、音楽だけでなくいろいろな分野に生かされています。
早野さんは、2014年に、スズキ・メソードを主宰している公益社団法人才能教育研究会の第5代会長に就任。そして、この番組のテーマである「福島の6年」を振り返りながら、「世に中に対してものを伝えていく。そして人々と対していくということは、音楽で培われた部分が大きかったと思います。」と語っています。
物理学者としての早野さん
早野さんは、1952年、岐阜県大垣市生まれ。その後、家は長野県松本市に移り、ここでスズキ・メソードと出会いました。長野県立松本深志高等学校、東京大学理学部物理学科、さらに同大学院へと進み、博士号を取得。1997年から東京大学大学院理学系研究科教授となり、2017年3月の退官の後、現在は東京大学名誉教授として活躍しています。
専門は、原子物理学。長年、世界最大の加速器を擁するスイス・ジュネーブにあるセルン研究所(「CERN」Conseil Européen pour la Recherche Nucléaire:欧州合同原子核研究機関)を拠点に、反物質の研究に携わってきました。この実績により、2008年度仁科記念賞、2009年には第62回中日文化賞など受賞。一方、2014年には、福島第一原子力発電所の事故後の福島での放射線の影響をテーマとする、糸井重里氏との共著『知ろうとすること』(新潮文庫)を出版しました。
ツイッターのフォロワー、15万人を突破
早野さんの「福島の6年」の始まりは、「福島第一原子力発電所で、セシウムが出たというニュースを聞いた」ことが発端でした。以来、それまでまったく縁のなかった福島に東京から通い続けるきっかけにもなったのです。
福島第一原子力発電所の事故直後、テレビをはじめ、ネットでもさまざまな情報が大量に飛び交い、状況は混乱を極めていました。
早野さんがツイッターでの発信を始めたのは、3月12日、震災発生の翌日の土曜日のことです。
「Cs137が出す662keVのガンマ線を確認したという意味か.福島第一原子力発電所」
「本来であれば原子炉の中に閉じ込められていなければいけないものが外に出てきた、ということに驚いてツイートした。」と、早野さんは語っています。
3千人ほどだった早野さんのツイートのフォロワー数は、この12日だけで見る間に2万人を超え、数日のうちに15万人を突破しました。3月のツイート数は1800を超え、以前の6倍となり、それ以来これを超える発信をした月はないという話も伝えられています。
相馬市での放射線量の測定
相馬市玉野地区。福島第一原子力発電所から北北西47キロメートルほどの山間部にある集落です。
早野さんは、ここを訪れ、家の中や通学路などにリアルタイム線量計を設置。放射線量の測定を行い、分析結果の説明、公表に取組みました。
学校を行き来する子供たち、あるいは家の中にいることの多い人などはどのくらい被ばくするものなのか。どうすれば正しく測定できるのか。測定した結果をどのように読みとればいいのか・・・。
多くの福島県民が放射線の健康被害に不安を抱く中、早野さんは住民の疑問に一つひとつ答えていきました。そんな早野さんの姿勢に、多くの人が共感を覚えるようになりました。
「震災当初の日本中が大変だった時期に、早野さんに出会った人はラッキーだったと思う。」
当時、早野さんと知り合った多くの人のうちの一人、大槻真由美さんは語っています。
ベビースキャン
福島県民の放射線の被ばく状況はどうなっているのか。早野さんが接する福島の多くの人々が口にする基本問題でした。
2012年8月、早野さんは「ホールボディカウンター(WBC)」という機械を初めて目にします。
ホールボディカウンターは、からだの内部の放射性物質、つまり内部被ばく量を測定する装置です。この装置を使って測定するためには、機械の中の狭い場所に入って、数分間立ったままでいなければなりません。おとなはまだしも、小さなこどもには無理な話でした。しかし、うちの子どもも測ってほしいというお母さんが赤ちゃんを連れてやってきます。
そこで早野さんは、2013年春、小さな子どもの内部被ばく量を測るための装置「ベビースキャン」の開発に取りかかりました。
「自分で自分のデータを見て納得するということがとても大事なことだと思うので、そのために役立てられればと思う。」と、早野さんは語ります。
このベビースキャンは、福島県内の3カ所の病院に導入され、2013年12月から測定を開始。以来、内部被ばくが検出された乳幼児は一人も出ていません。
UNSCEAR2013報告書
福島第一原子力発電所の事故から1年以上経っても、福島県内の放射線被ばくはどのような状況なのかという問いに答える調査結果や論文は、ほとんど出されていませんでした。
そのような中、早野さんは、「原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR=アンスケア=:United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation)」が、福島の放射線の実態に関する報告書を作成しているとの話を耳にしました。そこで注目したのが、2011年10月から1年間に渡って行われた福島県民3万3千人の検査データです。
早野さんは、この調査データをもとに、宮崎真氏(福島県立医科大学ふくしま国際医療科学センター健康増進センター副センター長)、多田順一郎氏(NPO法人放射線安全フォーラム理事)を共同執筆者とする論文を発表。
第三者がチェックした査読付き論文にしなければ、UNSCEARの報告書に、福島の現場からの報告がまったく載らないことになってしまう・・・との思いから、2013年の正月休みを返上して論文をとりまとめました。この論文は、この年に出された「UNSCEAR2013報告書」に採用。さらに、世界で特に権威がある学術雑誌の一つとされている「サイエンス」でも、記事として紹介されました。
早野さんは、「福島県内でそれだけの方の内部被ばくを実測したことを英語で論文にしたのはこれが初めてのことで、今考えても書いてよかったと思います。」と語っています。
2017年、UNSCEARは「東日本大震災後の原子力事故による放射線被ばくのレベルと影響に関するUNSCEAR2013年報告書刊行後の進展」という2017年白書を発表しました。そこでは、2013年報告書発表後の新規文献をレビューした結果、「これらの新規文献の大部分は、本委員会の2013年報告書の主な仮定および知見を改めて確認するもの」であると明記されています。
また、2017年9月に発表された、日本学術会議の「子どもの放射線被ばくの影響と今後の課題」と題する報告書も、「福島第1原発事故による胎児への影響はない」とし、「上記のような実証的結果を得て、科学的には決着がついたと認識されている」と記しています。
Dシャトルによる被ばく線量調査
田村市都路町(たむらし みやこじまち)。福島第一原子力発電所から20キロメートル圏内に位置するこの都路町の一部地域には避難指示が出されました。
この地で農家を営んでいた坪井孝夫さんは、立ち入ることはできるようになった2012年4月以降、およそ25キロメートル離れた避難先から毎日通って農作業を行っていました。そして、仮に避難指示が解除されたとしても、放射線による健康影響への不安から、自宅に戻るかどうか迷っていました。
早野さんは、坪井さんに、常時身につけて、外部被ばく量を測定し、記録することのできる個人線量計「Dシャトル」の利用を提案。避難先いるとき(特に夜)と、自宅近くで農作業をしているとき(特に昼)との被ばく線量を比較することにしました。
Dシャトルでの測定の結果、どちらも被ばく量に明らかな差がないことがわかりました。
除染が進められ、2014年4月に避難指示が解除。坪井さんは家族とともに自宅に戻りました。
今年の夏も、恒例の「都路灯まつり」が開催されました。
都路の里には、およそ1万本のやわらかな竹灯の明かりが灯り、辺りは幻想的な雰囲気に包まれます。
バトンを次の世代へ:福島の高校生による、セルン研究所でのプレゼンテーション
2013年10月、早野さんは福島県立福島高等学校で、英語による特別授業を行いました。
これを契機に、高校生たちとの交流を深め、翌2014年4月、高校生3人を連れてセルン研究所を訪問。高校生たちが、福島の現状に関するプレゼンテーションを行いました。
「『福島に人は住んでいないと思っていた』という質問を生徒が浴びせられた。それを見て、彼ら自身がそのことについての答えを世界に向けて発信できるように育って欲しいし、そういう活動ができないかと思うきっかけになった。」と、早野さんは語っています。
バトンを次の世代へ:福島の高校生による、スマホ学習塾「アオイゼミ」での特別授業
2017年9月には、全国で約30万人の中高生受講者を持つ、スマートフォンを使った学習塾「アオイゼミ」で特別授業を行いました。テーマは、「えっ、きみたち福島に住んでいるの?高校生と語る大地震からの6年、そして未来」。
アオイゼミは、普通の学習塾の授業に加え、総合教育の授業にも力を入れており、その一環として実施にいたったものです。
ライブ授業の配信中、視聴者の中高生たちから寄せられたリアルタイムな書き込みも画面に表示され、同年代の彼らからさまざまな声が寄せられました。
※この詳細は、こちらでご覧になれます。
バトンを次の世代へ:福島の高校生による、米国UCバークレー校でのトークイベント
さらに、2017年の10月には、米国のバークレー国立研究所と米カリフォルニア大学バークレー校日本研究センター主催による、福島をテーマとしたトークイベントに参加。
早野さんによる「6年半前に起きた福島原発の事故から立ち直ろうとする新たな挑戦について報告します」との紹介を受け、アオイゼミの特別授業にも参加した3人の高校生が、英語でのプレゼンテーションを行いました。
早野さんは、「多くの方に来ていただいて、メディアにも取材していただいた。生徒には、福島の現状をと将来のビジョンを話してもらって、本当にいいイベントになったと思います。」と語っています。
※この詳細は、こちらでご覧になれます。