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平成28年度(2016年度)シンポジウム
実施レポート
実施日:2017年3月18日(土)
会場:コラッセふくしま(4F多目的ホール)
震災から6年が経過する福島。
除染等を経て、各地で日常を取り戻す取組みが進められてきました。
くるまざカフェはこうした取組みを知り、確かめてきました。
昨年11月には、「浜通りとあぶくまの森林里山のいまを知る」、「食の安全対策とふくしまの美味しいものさがし」2つの体験プログラムとしてを実施し、様々な場所を訪ねました。
シンポジウムでは、この体験プログラムに参加された方と、地域で対応してくださった方をお招きし、今回の体験を通して、それぞれが感じたことを発表していただきました。
その発表を聞いたうえで、シンポジウムに参加された方全員でこれから進んでいく“みち”を一緒に考えました。
当日の配布資料はこちら
ふくしまみちさがし 未来へ向かっていま私たちにできること(PDFファイル 9MB)
【第1部】トークセッション
【第2部】「みちさがし」ワークショップ
昨年11月に実施した体験プログラムに参加された方と、地域で対応してくださった方をお招きし、現地を訪れてみて知ったこと、考えた、受け入れて感じたことなどを発表いただきました。
■越智さん自身が、体験プログラムに参加して感じたこと
現地に行って、ちょっと辛い思いをしてでもその土地の雰囲気を味わう。今という時の流れと一緒に現地を体感するということで、はじめてみなさんがその場所の未来について考える機会になったのではないでしょうか。二日間は、参加された皆さん同士のディスカッションが盛んに行われていて、それを聞くだけでもとても勉強になったかなと思っています。
■体験プログラムに参加された方が、どのように感じたか
杉山さん(千葉県から参加)
浜通りを知る、阿武隈を知るというタイトルに惹かれて千葉から参加させていただきました。阿武隈って本当に豊かな自然なんですよね。豊かな自然とそこで暮らす人たちの自然の営みを、まず見て、震災後どうなっているのかというお話を聞いて。人間の生き方ってどういうことなのか、そこから考えてみようと思わせてもらった二日間でした。
服部さん(福島市から参加)
私はライターをやっています。通常、1時間の取材で文字を書き起こすと約2万字になり、そこから2,000~3,000字くらいの記事にしています。今回の体験プログラムが約20時間だとすると、40万字くらいになります。ですから、今回の体験記事を書きましたが、それを読んだとしてもすべて知ることはできないですし、自分で見て感じることは全然違うことなんだと思います。書ききれなかったことが沢山ありました。
■現地で受け入れて頂いた方のコメント
(一社)南相馬除染研究所 兼 (一社)えこえね南相馬研究機構 代表理事 高橋さん
現地を見てもらうことの大切さ。見てもらうことで判断して、納得してもらう。切り取られた情報を信じて、判断されるのではなく、現地で色々なものを見てもらうことがやはり大事だなと思いました。今後も続けていきたい取組みです。うれしかったこととしては、皆さんが来てくれたことはもちろんですが、参加された方がたくさん感想を書いてくださり、そのことが活力につながるんだなって痛感しました。
南相馬市小高区 双葉屋旅館 小林さん
小高地区でもう一度できる、このままでは終われない、この状況を次の世代に伝えていきたい、そういう思いで旅館を再開しました。ただ、それまでの5年間は確かに長かったです。お越しいただく皆さんには、なるべく地元のものを出したいと思っています。私は、放射能測定センターや農地再生のメンバーもやっています。あの場所で、食べれるものが出来るってことが一番幸せなことだと思っています。南相馬のお米、野菜、みんな一生懸命作っています。そういうことが伝わるといいなと思って、皆さんをお迎えしました。
川内村役場 農政課 遠藤さん
川内村で行っている放射線に関する取組みを知っていただき、川内村で採れた新そばの測定をして、それを食べてもらうといった内容でした。皆さんを受け入れて感じたことは、人が大事、川内村の自然も大事。現場に来てもらって、感じてもらうことが非常に重要だなと思いました。役場で働く立場として、村に来てもらって、村の良さを感じてもらう取組みをこれからも実施したいと思います。
ふくしま中央森林組合 都路事業所 渡辺さん
人口が減ることはどうしようもないと思います。現在の人口は3,000人くらいですが、多くは高齢です。20年後、都路の人口は多分500人程度になってしまうかもしれない。けれど、それでいいと思っています。何をしなきゃいけないとか頑張りすぎると疲れてしまいます。そもそも300年前に都路に人がいたと思うので、これからまた300年かけて都路っていう町を作っていけばいいんじゃないかなって思います。
■今後どのような関わり方をしていけば良いと思われたか
杉山さん
県外に住んでいると、福島の状況を知らなくても、見ないふりして生きていけるんですね。ですから、私は時々福島に遊びに来たり、美味しいものを食べたりしていますので、お土産を買って帰り、会社で「美味しいでしょ」と言って配ったり、福島の宣伝部長になろうと思っています。個人として人と人をつなげられたらいいなって思います。
服部さん
東京からだと新幹線で1時間半で来れる福島ですので、まずは気軽に来て見てください。私もまた明日、川内村に行きます。
■開沼さん自身が、体験プログラムに参加して感じた感想。
特に印象的だったのは、果樹研究所の安部所長が本当に生き生きと説明をしてくださって、果樹への熱い思いが伝わってきたんです。果樹や牛乳の放射線対策のことは知っていたけれど、現場を見ながら、どんな生産のプロセスを経て、私たち消費者に届いているかを知ることで、なるほどねと納得に繋がり、知識の木の幹に枝葉がついたような感じがしました。実際に食べてみて、美味しいと感じることで、価値を生み出すのだと思いました。
■体験プログラムに参加された方が、どのように感じたか。
野田さん(郡山市から参加)
地元・福島で、様々な困難や課題がある中で、どういう取組みがあって、現在どういう状況にあるのかを自分の肌で感じたいと思って参加しました。一番印象に残っているのは、ささき牛乳・佐々木さんの「生産はだいぶ元に戻ってきているものの、今後も放射線量検査が付きまとっていく。それは仕方ないことだし、慣れてきてしまった」という言葉でした。
ゾーイさん(福島市から参加)
私は、海外の方に福島県の観光地などの情報を発信する仕事をしています。私自身が福島のことを良く理解しないとうまく伝えられないと思い、体験プログラムに参加しました。参加した後、友達や家族に学んだことを伝えたいという気持ちが非常に強くなりました。外国人にとって、特に食べ物に関する情報を知ることが難しく、調べても本当に安心できる情報かどうかわからない状況です。生産者の方が、震災後どのようなことに直面してきたかを実際に聞いて、検査がどのように行われているのかを知り、本当の安心につながりました。
■現地で受け入れて頂いた方のコメント
ささき牧場 佐々木さん
2013年夏から牧場見学会を年4回くらい実施しています。最初は、放射線のことをお話する機会としてはじめた取り組みですが、牛乳の話、牛そのものの話など、放射線以前に生産者が伝えたい、伝えなきゃいけないことがすごくあったんだなって気付かされました。今回のみちさがしでも、牧場の中を巡りながら、牛の話や震災後どうエサを与えてきたのか、どう苦労してきたかなどお話させていただきました。参加された方から、本当に暖かく、応援の言葉をいただけたことが、とてもうれしかったです。
福島県 果樹研究所 所長 安部さん
福島県の産地ではこれまで、できる限りの対応をしてきたと思っています。それを伝えて、知ってもらうということをずっと続けてきています。それぞれのご意見、考え方、見方、色々あります。そういったものに対して、どれが正しくて、どれが間違っているということではなく、やはり真実のデータを絶えず正確に伝えていくということが一番重要だと思っています。
■今後、どのような関わり方をしていけば良いと思われたか。
ゾーイさん
外国の方の情報源はメディア情報しかないから、私ができることは自分が学んで理解したことを発信していくことだと思っています。
野田さん
客観的なデータがありつつ、今回の体験プログラムで生産者の方がされてきた苦労・努力を伺ったことで、参加された皆さんが福島の農産物を安心して美味しく食べることができたような気がします。今回感じたことを、県外の人も含めてもっともっと多くの方に伝えて広めていきたい、知ってもらいたいと思っています。
ワークショップのテーマは「未来に向かっていま私たちにできること」。
会場内に、体験プログラムで訪れた場所毎にテーマを設けて、ブースを5つ設置。
各ブースには、話題を提供してくださる方々が考える
①各地域の「30年後の理想の未来(夢)」をあらかじめ書いて貼っておきました。
そして、
②その夢の実現のために「5年後のあるべき未来は?」
③そのあるべき未来に対して「現在とのギャップ(課題)は何か?」
④夢を実現させるため「明日から私たちは何が出来るのか?」
の手順で、地域の方々が描く30年後の未来に寄り添って、ふくしまのこれからをみんなで考えてみました。
ブースリーダー
(一社)南相馬除染研究所 兼
(一社)えこえね南相馬研究機構
代表理事
高橋 荘平さん
話題提供者
(一社)南相馬農地再生協議会
杉内 清繁さん
農地(農業)再生ブースでは、話題提供者である杉内さんが描く30年後の未来(夢)に向けたこれからを、みんなで考えました。
①30年後の理想の未来
食とエネルギーと人がきちんと循環出来ている社会であって欲しい。
②5年後のあるべき未来
若い世代が戻ってきている、魅力ある農作物がある、世界が注目する町になっている、といった意見があがりました。その状況をどうやって作っていくか、いま足りない領域の部分をどうやっておぎなっていくということが重要になると思う。エネルギーに関して、5年後にバイオマスガスや様々なエネルギーに関するチャレンジができていると、30年後の食とエネルギーの農業や良い農作物を作っていたいという思いにつながっていくのだと思う。
③現在とのギャップ(課題)
農業の担い手が不足している。太陽光パネル設置は比較的に気軽にできるが、バイオマスなどへのチャレンジとなるとハードルがあがってなかなかできていない。何か動こうとしたときに、やはり放射線の影響、不安が少なからず残っている。
④明日から私たちは何ができるか
南相馬に来た人に対して状況がわかる様にフラットに案内をすること。家庭菜園という形でも土に触れる機会を増やすこと。また、普通の生活を広く発信することで、放射線に対してのもやもやした不安をじわじわと解消へとつなげていく。
地方では知見が足りてない部分(科学の分野など)を、連携を計って進めてしていく。地産地消のエネルギーの部分での環境整備。様々な関係を作って、チャレンジしやすい環境づくりを進めていく。
それによって、人口増加、人口交流に繋がり、担い手不足の解消にもつながっていく。
ブースリーダー
相馬中央病院
内科診療科長
越智 小枝さん
話題提供者
小高を応援する会
3B + PLUS1
廣畑 裕子さん
話題提供者
双葉屋旅館
小林 友子さん
避難指示解除後のくらしブースでは、話題提供者である廣畑さん、小林さんが描く30年後の未来(夢)に向けたこれからを、みんなで考えました。
①30年後の理想の未来
エネルギーの自給自足が出来ている街。若い人が住んでみたくなる街。小さくても、ひとりひとりがいきいきと生きていけるような街。
例えば、具体的な支援の仕組みが整っていて、高齢化だから働けない人が増えるのではなく、高齢化でも1日1時間、週に3日という風に、死ぬまで働きたいという人が働ける「超フレックス」な働き方が、「小高スタンダード」になっていること。
②5年後のあるべき未来
それぞれが生きがいを持って生きていく。そのためには健康でいなくてはならないが、健康になるためにきちんと仕事があるということ、震災をきっかけとした人や他の地域との交流、新しい人を受け入れるということ、改めて見直した歴史や地域の特色をしっかり出した町づくりなど、町のデザインが必要である。住民が健康になったことでシルバー人材を資源として使っていく。その結果、子どもが楽しめる社会になって、若い人が集まってくるというこれまでの地域づくりの発想と逆の転換があった。
③現在とのギャップ(課題)
やりたくない人もいる、やりたい人でもやりたくない日もある、人それぞれ違う意見を持っているといった多様性を受け入れながら、一人に負担がかからずに続けるにはどうしたらいいんだろうというところ。何かをするにはやはり人が必要だが、子育て世代の帰還が進んでいない。6年離れて暮らしていたことで、ふるさとに帰る理由が見つけられないという現実問題。人が足りず介護の担い手が不足するなど、頑張らない仕組みづくりができなくなってくる。また避難指示解除とは、ゼロからのスタートであるという事が県内の他の地域でも知られていないこと。
④明日から私たちは何ができるか
小さな波が大きな何かに繋がっていくかもしれないでの、町の状況、情報をSNSなどでまめに発信していくことが大事。町のデザイン、生業となる産業をつくることはゼロからのスタートなので、それをサポートする。
30年間、あきらめず未来を語り続けるということが重要だということです。
ブースリーダー
川内盛り上げっ課
西川 珠美さん
話題提供者
川内村役場 農政係
遠藤 一美さん
避難指示解除後のくらしブースでは、話題提供者である遠藤さんが描く30年後の未来(夢)に向けたこれからを、みんなで考えました。
①30年後の理想の未来
川内村は日本一幸せな村でありたい。
若い人が住みたい村、食材が豊富な村、都市部と交流している循環型の村、なによりもお年寄りが笑顔の村。
②5年後のあるべき未来
人々が集う施設、例えば川内村にない出産施設ができている。
外から若い人が訪れてもらう村にするために、泊まれる施設がもっとあったらいい。
③現在とのギャップ(課題)
高齢化だが、高齢の方に頑張っていただいて人材不足を解消していく。
交通手段などのインフラが課題。川内村だけでやろうとすると集客や交通手段といったインフラが大変なので、周辺自治体との広域連携が必要。
④明日から私たちは何ができるか
まず川内村に行く。
川内村のこと、知ったことを周りの人に伝える。
川内村ってどういうところか、そもそも情報発信が足りないので、小さくてもディープな情報を発信していく。
ブースリーダー
田村市復興応援隊
小林 奈保子さん
話題提供者
ふくしま中央森林組合
渡辺 和雄さん
話題提供者
薪商「はぜるね」
武田 剛さん
避難指示解除後のくらしブースでは、話題提供者である渡辺さん、武田さんが描く30年後の未来(夢)に向けたこれからを、みんなで考えました。
①30年後の理想の未来
もっと沢山の人が林業の事や木に親しみ、加工したり体験のできる「山のがっこう」が都路の中心になっている。
薪ストーブが暮らしの中心に在り、そこに人が集いコミュニティを形成する。
また、都会と田舎のかけ橋になっている社会。
②5年後のあるべき未来
林業の活性化支援として広葉樹、木材の新たな活用ができている。
場の利用が進んでいる(教育旅行、ツリークライミングなど)
③現在とのギャップ(課題)
森の中って安全なのかなど、食品とは違う放射線への不安がある。
森林の今後を担う人材不足している。
環境教育に関するプログラムがない。
里山の暮らしって本当に楽しいのかを知る機会や、里山、森林に接する機会がなく、そもそも森林に入るなと言われている。
④明日から私たちは何ができるか
林業ってどういうことをやっているのか知る機会を持つ。林業はどういうものなのか、薪を活用した場面などを発信していく。
地元の木材を使ったリノベーション、森林を使った行事を行う。
ブースリーダー
ごはんとヨガのお教室
CookingStudio I-e
中村 美紀さん
話題提供者
福島県 農業総合センター
果樹研究所
安部 充さん
話題提供者
ささき牛乳
佐々木 光洋さん
避難指示解除後のくらしブースでは、話題提供者である安部さん、佐々木さんが描く30年後の未来(夢)に向けたこれからを、みんなで考えました。
①30年後の理想の未来
赤ちゃんから高齢者までが、果物をお菓子感覚で食べる幸せを共有できる社会。
スペインのセバスチャンのように小さくても成熟した都市を作る。事業が成立していて、地域が循環しているような福島を作っていきたい。
②5年後のあるべき未来
フランスなどでは、マーケットで若い女の子がフルーツを買って食べることが当たり前なので、福島でもお菓子の代わりにフルーツを食べるなど、果物が日常に入り込んでいる。
加工の仕方を学ぶ、地域のものを使ったレストランを見習うなどして、地域、町に愛される小さなお店をたくさん増やしていく。
果物の食べ方(高齢者の方が食べやすい食べ方)や地元の人しか知らないような情報を伝えていく。
東京オリンピックなどで福島に来ていただいた方にアピールしていく。不安に思って福島の農産物を食べていない方15%ではなく、気にせずに美味しいと言って食べてくださる方85%に目を向けて情報発信していく。
③現在とのギャップ(課題)
食べ方が画一的でバリエーションが少ないので、食べ方の情報などをしっかり発信していく。福島産の農産物を買える場所がない(少ない)ので、新たな販路を開拓していく。
④明日から私たちは何ができるか
気にしない人を探して、その人に伝えてもらう。
果物お洒落化計画。美味しいものをSNSで発信していく。
寄付をする、シェアをする
非常に情報量が多く、そんなアイデアがあったのか!という気づきもあり、何より皆さんが楽しく話されていたのが印象的なシンポジウムでした。
震災から6年が経って、目標の再設定が必要な時期になってきているんだと思います。当初は放射線の対応をどうするかという話をしていましたが、今では、人材が足りていないとか、施設や店がないといった具体的な話になってきています。今回は30年後というところから落とし込んで考えましたが、目標をどういう風に再設定するのか、またあの時の福島を語るのではなく、これからの福島を語ること、語り方に慣れていく必要があるのかなと思います。
また、震災直後の様に、スタートダッシュで対応していかなければならない状況ではなくなっている今。福島の持続的な在り方はどうなのか、長く頑張る方法ということは何なのか、考えていく必要があるのかとも思います。
最後に、担い手づくりが非常に必要になってきていると思います。組織的に、大きい取組みにしていくにはどうすればいいのか、より具体的にしていくそのための担い手を増やしていくことが重要だと感じています。
体験プログラムとシンポジウムに参加してみて、材料はだいぶ揃ってきていると感じています。これからは、これらを組み合わせて、大きくまとまったものにしていく試みが大事なのだと思います。それを実現するために、今までのような直線的な情報発信ではなく、もっと面的に、次元の高い情報、例えば物語として発信するための「方法」と「労力」が求められているのではないでしょうか。
そして情報といっても、福島で起きていることを知るだけではなく、福島で生まれている知恵というものを、どうやって発信していくか。福島を助けるためにこの場にいなくてはいけないのではなく、福島に来て学ばないことが、その人にとって損で、もったいない場だということを、どう伝えたらいいのか強く考えさせられました。
私たちは日本で今までにない何かが生まれる瞬間に立ち会っていると思います。五感をフルに使った中で、知恵を最大限に働かせて、いかに楽をせずに楽しい福島を作っていくか。それが私たちの課題なのかと思います。
■郡山市20代男性
「何を話してもいい30年後」というフレーズがとても気に入りましたし、夢を語る地域の方、参加された方たちからも素晴らしい話が聞けて、とても良いトークセッションでした。果樹研究所の安部さんが「福島県の産地では、これまでできる限りのことをしてきた」という言葉だけで、原発事故後の相当な苦労や努力を感じることができました。「知る」ということが一番の風評被害を消すことになると思います。より多くの方に「伝えて」欲しいです。
■福島市50代女性
課題、問題に直面している方たちの話を身近に聞くことができて良かったです。同じ地域でも、思いはそれぞれ違うということを感じました。
■東京都20代女性
体験プログラムに参加した知人の誘いで本日のシンポジウムに参加しましたが、自分が参加してなくてもプログラムの良さが理解できたし、自分もぜひ参加してみたいなと思いました。また、東京に住んでいる私が、福島について直接話を聞くことができて、とても良い勉強になりました。
■東京都30代男性
様々な方が意見を積極的に出されていたのが印象的でした。色々なアイディアをいただいたので、自分でできることを形にしていきたいです。
■東京都60代男性
「現地」「現場」「体感」「体験」ということがキーだった様に感じます。皆が皆、現地の体験を得ることは叶わないとしても、体験した人が、それをどう言語化して発信するかが大事なんだと思います。色々な気づきや学びがあって、貴重な機会でした。未来に目を向け始めたいという、大きな転換(点)を感じました。